「人生は自由研究」日本とハワイの医療を学ぶ ナースのブログ(Kimie Kameda)

ハワイ島でLomi lomi(ハワイ伝統医療)を学び7年目になります。手を使い身体を観察する様々な術を学び、その技は看護でもあると気づきました。ハワイでの学びを生かし病院の外にある看護師のお仕事(セラピスト、教育、教育旅行の帯同)に挑戦し人生丸ごと自由研究中です。

【おじいちゃん、おばあちゃんかえら伝えられた事】②祖父の歴史、福島県から国後島へ、そして北海道に移り住む

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

4連休

blog時間があって、書きたいことがあったら

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お仕事が忙しくても

生活リズムを整えながら

好きな時間を大切に過ごしたいと思います。

 

今日のテーマは

昨日と同じシリーズ

 

【おじいちゃん、おばあちゃんかえら伝えられた事】②祖父の歴史、福島県から国後島へ、そして北海道に移り住む

f:id:kimiekameda:20200919091735j:image北海道

 

昭和50年代

小学生の時

祖父母と一緒に暮らしていました。

祖父母の幼少期について

小学生の私の関心は低く

沢山話しを聞いていなかった事は心残りの1つです。

 

◯マヨネーズ

祖父は大正14年生まれ

社会の出来事を調べると中島商店(現在のキューピー)が初めて国産マヨネーズを販売したと記されています。

 

祖父はマヨネーズが苦手でした(*≧艸≦)ポテトサラダは食べません。だいたい醤油を使います。

 

小学生の私「時代だね」

 

50歳代、現在の私の年齢と変わらない祖父に

そんな風に思っていたと記憶しています。

 

50歳の私「複雑」

 

◯ご不浄(ごふじょう)

 

私の家では福島県出身の祖父だけが

トイレと言わず「ご不浄」と言いました。

 

当時50歳代の祖父「ご不浄に行っておいで」

 

小学生の私「トイレ行ってくるね」

 

ご不浄と言ったことは無かったけれど、当時は素敵な言い方だなぁと、そんな感じがしてました💕

 

祖父の両親が使っていたであろう言葉

主に女性が使っていたという言い伝えもあり

祖父の母が使っていたのか

 

その言葉を

北海道のこの地で最後まで使い続けていました。

 

「ご不浄」

この言葉の語源を知ると祖父の生活を知ることができるのかな。

 

国後島

 

福島県から国後島に移住したと

祖父は確かに語っていました。

そして

アイヌの人々と同じ地域で暮らしていた様子で

学校があったのか無かったのか

 

50歳代の祖父「(アイヌの人々は)道具を作るのが上手いんだ!」「喧嘩すると負けていた。強いんだ。」

など、アイヌの人々との生活を語っていました。

 

現在78歳の父「そんな事言ってたか?」

なんと知らなかった。

 

祖父が18歳の時、昭和18年に父が生まれています

おそらく、子供の頃に国後島に住んでいたことが予測されます。

 

50歳の私「18歳で父親(*≧艸≦)って!父には姉もいるけどね」

 

🌲80歳の私へ

歴史の貴重さは

その当時は気付きづらいですね。

 

80歳の私が貴重だと感じる歴史は

今起こっているどんな出来事なのか。

 

50歳の私「まずは祖父の言葉、住んでいた土地を辿ってみたい」