【おじいちゃん、おばあちゃんかえら伝えられた事】②祖父の歴史、福島県から国後島へ、そして北海道に移り住む
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
4連休
blog時間があって、書きたいことがあったら
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生活リズムを整えながら
好きな時間を大切に過ごしたいと思います。
今日のテーマは
昨日と同じシリーズ
【おじいちゃん、おばあちゃんかえら伝えられた事】②祖父の歴史、福島県から国後島へ、そして北海道に移り住む
北海道
昭和50年代
小学生の時
祖父母と一緒に暮らしていました。
祖父母の幼少期について
小学生の私の関心は低く
沢山話しを聞いていなかった事は心残りの1つです。
◯マヨネーズ
祖父は大正14年生まれ
社会の出来事を調べると中島商店(現在のキューピー)が初めて国産マヨネーズを販売したと記されています。
祖父はマヨネーズが苦手でした(*≧艸≦)ポテトサラダは食べません。だいたい醤油を使います。
小学生の私「時代だね」
50歳代、現在の私の年齢と変わらない祖父に
そんな風に思っていたと記憶しています。
50歳の私「複雑」
◯ご不浄(ごふじょう)
私の家では福島県出身の祖父だけが
トイレと言わず「ご不浄」と言いました。
当時50歳代の祖父「ご不浄に行っておいで」
小学生の私「トイレ行ってくるね」
ご不浄と言ったことは無かったけれど、当時は素敵な言い方だなぁと、そんな感じがしてました💕
祖父の両親が使っていたであろう言葉
主に女性が使っていたという言い伝えもあり
祖父の母が使っていたのか
その言葉を
北海道のこの地で最後まで使い続けていました。
「ご不浄」
この言葉の語源を知ると祖父の生活を知ることができるのかな。
◯国後島
祖父は確かに語っていました。
そして
アイヌの人々と同じ地域で暮らしていた様子で
学校があったのか無かったのか
50歳代の祖父「(アイヌの人々は)道具を作るのが上手いんだ!」「喧嘩すると負けていた。強いんだ。」
など、アイヌの人々との生活を語っていました。
現在78歳の父「そんな事言ってたか?」
なんと知らなかった。
祖父が18歳の時、昭和18年に父が生まれています
おそらく、子供の頃に国後島に住んでいたことが予測されます。
50歳の私「18歳で父親(*≧艸≦)って!父には姉もいるけどね」
🌲80歳の私へ
歴史の貴重さは
その当時は気付きづらいですね。
80歳の私が貴重だと感じる歴史は
今起こっているどんな出来事なのか。
50歳の私「まずは祖父の言葉、住んでいた土地を辿ってみたい」